3日目 ナポリ歴史地区車窓観光
観光後、ポンペイへ
途中、カメオ工房へ
世界遺産 ポンペイ古代遺跡観光へ 非常に楽しみです!
昼食後、アルベロベッロへ
朝の風景8:30頃 車窓から | カステルヌオーヴォ城 | 卵城とサンタ・ルチアの海 |
カメオ工房前の道路 | 笠松の向こう側はポンペイ遺跡です | 見える見える! |
カメオ工房 | このおじさんが通称「タコさん」です | タコさんの手のひらには、タコが。。 |
カメオを作る道具 | サザエなどの貝がらを彫っていくんです | |
タコさんの作品は比べてみれば違いがわかります 素人の私が見ても |
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紀元79年8月24日 ベスビオ山は大噴火でポンペイやエルコラーノの麓の町には、熱い火山灰に覆いつくされた。
噴火直前の人口は2万人くらいで、犠牲者は2000人ほど。
全滅 したのかと思っていたが、生存者の方が断然多かったのだ。
しかし当時のローマ皇帝は復興に動こうとしなかった。 住民が独自で復興するには被害が大きすぎ近辺に移住せざる を得なかったと言われる。
* 2万人のうち 12000人:市民 8000人:奴隷 といわれる
マリーナ門 左は歩行者・右は馬車用 | 馬車は中央の車道、歩行者は左右の歩道を通るよう 分けられており、雨が降っても冠水しないように歩道は高く 造ってある。1900年も前にしっかりと道路整備されている のは驚きだ。しかも中央の3つの石は横断歩道まである |
夜でもわかるように白い石をひいた道路 |
馬車の轍が見える | 床に残されたモザイク画 | 店の扉の敷居跡 夜でもわかるように白い石が |
歩道の下は水路で道路脇に公共井戸 | ←蛇口は現代のもの 鉛で留めてある 水道管は鉛を使用 | フォロ(公共広場) |
アポロ神殿周辺 | ||
石の文様がきれいです | 娼婦の館はこちら方面(道路標識) | 馬車止めまである (馬車の紐を結ぶ穴) |
右手に娼婦の館、道路に馬車の轍がくっきりと | こんな春画も | 轍は排水溝にもなります |
居酒屋のカウンター ワインを入れたかめが並ぶ 大理石張りの素晴らしいカウンターですねぇ |
パン屋の挽き臼 穴に棒を通して臼の周りを回って挽く | パン屋のかまど |
ファウノの住居入口 「HAVE]はこんにちはの意味らしい | 踊るファウノのブロンズ像(ファウヌスの住居) | |
ファウノの住居のモザイク画(アレクサンダー大王の戦い) | ファウノの住居庭園 | バジリカ |
裕福な家の食堂に描かれていた鮮やかな彩色の壁画 | 噴火に襲われた瞬間の石膏像 | |
ベルトをつけていることから奴隷とのこと | あばら骨が見えてます | サウナ室 |
天井をくりぬかれた明り取り窓 | サウナで熱くなった体を冷ますための浴槽 | 温かいお風呂のある浴室 大理石づくりの大きな浴槽 |
浴槽の反対側に置かれていた水飲み場。真ん中から 泉の水がわいていたらしい。大理石でできた豪華な鉢の 縁にはこれを寄贈した人の名前が刻んである。 |
フレスコ画 | 床は2重構造で蒸気で一定の室温が保たれて壁にもその 蒸気が上がってくるようになっている |
悲劇詩人の家 “入口の鎖につながれた犬” 玄関前の床に犬のモザイク画 今にも飛びついて来そうな躍動感が伝わる 犬の下には、「猛犬に注意」の文字が |
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居酒屋 風呂上がりの一杯は格別って! | ||
何気にベスビオ山が見えます | エルコラーノ門 | |
遺跡西側のエルコラーノ門を出ると お墓の並ぶセポルクリ通りから |
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糸杉通り(勝手に付けた) | 立派なお墓 | |
←ベスビオ山 ヨーロッパ大陸唯一の活火山。 厳密には外輪山をなすソンマ(最高峰1132m)と中央丘 である狭義のベスビオ(標高1281m)より構成されること からソンマ・ベスビオと称される。 1845年に標高608mのところに世界最初の火山観測所が つくられ現在に至っている。 ナポリ民謡フニクリ・フニクラは80年にベスビオの麓、標高 800mから火口縁(標高約1200m)までフニコラーレ(索道 鉄道)が開通した際のコマーシャルソングである。 このフニコラーレは、1944年の噴火で破壊されたので 現在は2人掛けの腰掛リフトが観光客を火口縁に 運んでいるそうだ。 車道を横切るための横断歩道。 3つの石がそれ → 馬車の車輪が通れるように間が開いているというから驚き |
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ベスビオ山 | 石の横断歩道 | |
秘儀荘はポンペイ場外の西側のエルコラーノ門から進む | 「ポンペイの赤」あざやかな壁画 | ポンペイが栄えた頃ローマ帝国ではギリシャ神話に登場 するバッコスという神の宗教に入信する儀式の様子を 描いた、ある意味秘儀の壁画 このことからこの邸宅は秘儀荘と命名されている。 |
イカの前菜 | ツナのパスタ うどんのようなパスタだ! | イカとエビのフリッターと大盛りサラダ |
宿泊先のアルベロベッロへ向かいます | ||
昼食は、シベリウスクラブにて | 車窓から | |
トイレ休憩によった土産物屋にて | 夕食 イタリアのビールはあまり美味しくない | |
オレキエッテ ほうれん草ソース 美味でした | 鶏ささみソティ 人参とジャガイモの付け合せ | ティラミス |
約1900年前、栄華を極めたポンペイの町。人口の40%が奴隷だったとされ市民の生活にとって欠くことのできない働き手だった。奴隷は、同じ人間として
認めていたため同じ浴場を使うことに抵抗がなく、夜遅くには同じ浴場に汗を流しに行っていたという。
またキリスト教が広まっていなかった時代に豊かな生活を享受していたポンペイの人々。かなり退廃を極めていたとも言われるが、今の日本だって
同じようなものだ。そんな平和な暮らしを一瞬にして崩壊させたベスビオ山の大噴火。自然の驚異はかくも残酷なものかと。
ベスビオ火山 ポンペイから見ると標高1281mの火山は、本当に目の前だ。
学生の頃「ベスビオス火山が噴火し、ポンペイの町が埋まった」と習った記憶がある。教科書にもそう書いてあった。
しかし現地では、ベスビオ火山という言葉はあったが、ベスビオス火山という言葉はない。
30〜40年前の日本はそれほど世界から遠かったのだろうか。
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